皆さんこんにちは。

湿度が高く、蒸し暑い毎日が続きますね。

気象庁の発表では、九州南部が梅雨明けしたとのこと。 例年より5日早いそうです。

東北地方の梅雨明けはいつぐらいになるのでしょうか? 梅雨明けが待ち遠しい今日この頃です。

 

さて、今回ご紹介する記事は、若林区蒲町にある「雷(かみなり)神社」です。

弊社から歩いて5分ほどの場所にあります。

 

1735年(享保20年)、1週間(七日七夜)も雷鳴が轟いて 落雷が相次いだため、神社を建てて鎮まるのを祈り、村の鎮守としたのが起源とされる神社です。

 

今でも町内では、「雷神講」という集まりがあります。

 

神社の脇には七郷堀が流れており、境内には蒲町の公会堂も併設されています。

 

 

雷を鎮めるために建立されたという伝えられますが、「水神様」として、七郷堀の洪水忌避の意味合いもあるのかもしれません。

 

 

弊社がある若林区には、 以前にここで紹介した「浪分神社」や、今回の「雷神社」など、 災害をきっかけに建てられた神社があります。

こう言った、災害等をきっかけとした神社や地名などは 皆さんのお住いの地域にも少なからずあるのではないでしょうか?

 

 

自分が住んでいる場所がどんな場所なのか調べてみると、皆さんにとって新たな発見があるかもしれません。 

 

それでは、この辺で

 

後藤

皆さんこんにちは。

 

今回は若林区を紹介する第3弾、七郷神社 と 仙台市の保存樹木 大桑 を 紹介したいと思います。

 

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弊社から東へ車で約10分程行ったところに、七郷神社があります。

七郷神社は、元々「熊野神社」で、以前は若林区荒井の新屋敷という場所にあったそうです。

明治時代に、無格社合祀(むかくしゃごうし:公の資格を持たない神社を統合すること) の勅命で、近隣の他の神社を統合して、「七郷神社」と改称し、現在の場所に建立されたようです。

 

この地域(七郷地区)は古くから、若林区木ノ下にある白山神社の「お浜おり」という神事の際に、深沼(荒浜)へ向かう行列が通る道筋にあたるため、白山神社とは所縁の深い土地だったとのこと。

 

そのため、七郷神社には、「丹波神楽」という神楽が伝承されています。

昭和2年に神楽殿が七郷神社境内に建立され、当時の氏子たちが木ノ下白山神楽を習得し、 奉納したのが始まりとされています。

この神楽は、仙台市の無形文化財に指定されています。

 

 

七郷神社周辺は、近年の区画整理事業で整備が進み、昭和59年に社殿が改築されました。

また、社地も平成11年に再整備されており、境内はとても綺麗です。

 

 

撮影に訪れた日も、参拝に来られる近所の方々を見かけました。

地域にとって、とても大事な神社なのだと思いました。

 

神社の周りは住宅地で、車を停める場所はありません。

参拝に行く際は公共の交通機関をご利用ください。

 

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そして、七郷神社から東に歩いて5分ほどの場所には、仙台市の保存樹木に指定されている 「七郷の大桑」があります。

 

樹齢300年 樹高8.5m 幹周4.7m 

とても立派な桑の木でした。

 

昭和52年に、仙台市の保存樹木に指定されています。

 

この、「七郷の大桑」は、じつは個人宅の敷地内にあります。 見学する際はご注意ください。

 

桑と聞くと、皆さんは何を想像しますか?

私の小さい頃の話になりますが、私の祖父母の家では、養蚕を行っていました。

カイコを育てる際の餌として用いていたのが、桑でした。

手伝いで、桑畑から桑の葉を持ってきて、小屋にいるカイコに食べさせた記憶があります。

また、桑の実は小さい頃の私にとってはおやつで、 従妹たちと桑畑に行って、よく実を採っていました。

実を食べた後は口の周りが紫色になっていたのを思い出します。

 

ここ数年はそういった光景を見ることができないのは少し残念ですね。

 

古来からの日本の原風景をいつまでも残していきたい。

この大桑の木を見ながら、そんな想いが脳裏を過りました。

 

弊社の社名にもある「環境保全」。

 

歴史的な文化財や自然を守るには、古来からの環境、これからの未来への環境を 維持(保全)していく必要があります。

 

私自身も、社名に恥じぬよう、色々と頑張っていきたいですね。

新緑の季節、皆さんも近隣の名所や名木などを鑑賞に出かけてみませんか?

 

それではこの辺で。

 

後藤

皆さんこんにちは。

先日の記事では、浪分神社をご紹介しました。

今回はその浪分神社から歩いて5分ほどの場所にある、 江戸時代の力士「谷風(谷風梶之助)の墓」をご紹介したいと思います。

 

谷風は、仙台藩陸奥国宮城郡霞目村(現在の若林区霞目)出身の力士で、 第4代横綱であり、大相撲史上屈指の強豪で、力量・人格の面で現在の横綱の模範となった人物です。

(画像はhttps://edo-g.com/men/view/91より引用)

 

「第4代」となっていますが、実質上最初の横綱とされており、この 霞目出身の谷風は2代目ですが、初代谷風も宮城出身(現在の蔵王町)でした。

しかし、初代谷風は讃岐高松藩主「松平家」のお抱え力士でしたので、 初代を「讃岐の谷風」2代目を「仙台の谷風」というように区別して称されています。

 

また、初代は当時横綱という地位が無かったため、大関でした。

 

仙台の谷風は、江戸本場所において土付かずの「63連勝」という大記録を達成したと伝えられています。

この記録は、第35代横綱「双葉山」が記録した69連勝するまでの150年の間、連勝記録となっていました。

現役横綱である白鵬も、2013年5月に谷風の持つ記録63連勝に並びましたが、追い抜くことは出来ませんでした。

 

若林区霞目にある谷風の墓は小さい公園になっており、

閑静な場所にあります。

先日紹介した「浪分神社」から100m北に進んだところに谷風の生家があったと言われていますが、東日本大震災で被災したため、現在は更地になっているそうです。

 

 

浪分神社と谷風の墓、徒歩圏内にありますので、周ってみてはいかがでしょうか?

新緑の季節、散歩にはちょうどいいかもしれませんね。

 

ちなみに、青葉区の匂当台公園に、谷風のブロンズ像が設置されているので、ぜひ探してみてください!

 

それではこの辺で。

 

後藤

皆さんこんにちは。

日中は夏のような暑さになる日が続くようになりました。

熱中症のニュースもちらほら聞こえてくるようにもなりましたので、 体調崩さないように気を付けていきましょう!

 

さて、今回の話題は「若林区の歴史探索」です。

 

これまでは弊社が仙台市から受託している家庭ごみなどの収集地域の史跡などを、主に青葉区を中心としてご紹介してきましたが、このblogも2年目に突入しましたので、弊社のある「若林区」にもスポットをあてていきたいと思います。

 

その第1弾として、若林区霞目にある 浪分神社 をご紹介します。

浪分神社は、弊社から車で5分ほどの場所にある小さな神社です。

 建立当時は現在の場所から500mほど南東の今より海に近い場所にあったそうです。

 

この神社は、稲荷神社として建立されたそうですが、 慶長16年に発生した地震による大津波の際、神社近くまで来た津波が社前で 二つに分かれて引いていったという伝承があり、それ以来、波(浪)が分かれた神社、すなわち「浪分神社」と呼ばれるようになったそうです。

この伝承のもとになっている津波は、先ほども書きましたが慶長16年と言われていますが、 文献や伝承などにあたった最新の調査では、なんと平安時代、あるいは弥生時代の津波まで遡る可能性もあるそうです! 

 

ちなみに慶長16年とは西暦で言うと1611年。江戸時代初期になります。

 

2年後の1613年に、支倉常長が伊達政宗の命によりスペインへ出向しています。

いわゆる、慶長遣欧使節ですね。

支倉常長像(仙台市博物館蔵)

 

もしかすると、伊達政宗は津波で被害を受けた仙台藩を復興させるため、 海外の様々な技術を持ち帰ることも目的の一つとして 支倉常長に命じていたのかもしれませんね。

 

この浪分神社の伝承は、東日本大震災後に各メディアを通して全国に広まりました。

 

また、全国各地にも同じような津波に関する伝承や史跡があるようです。

 

この伝承などをも後世に伝えていきたいですね。

 

浪分神社に行く際は、駐車場などがありませんので、公共交通機関をご利用ください。

 

それではこの辺で

 

後藤

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