皆さんこんにちは。

いよいよ6月に入りましたね。

早いもので、平成29年も半年を迎えようとしています。

仙台はこれから梅雨の時期に入ります。 肌寒い日もあるので、体調には十分気を付けてください。

 

さて、今回紹介するのは守り本尊の第3弾!

戌年(イヌ)と亥年(イノシシ)の守り本尊である、大崎八幡宮です。

仙台市内には、江戸時代に盛んになったと言われる卦体神(けたいがみ)信仰に伴い、 十二支の守り本尊があります。

弊社が仙台市から受託している家庭ごみ収集地域(青葉区)には、 この守り本尊がいくつかあり、大崎八幡宮もその一つになります。

 

大崎八幡宮は、文化財としても貴重で、 社殿(本殿・石の間・拝殿)は、昭和27年に「国宝」に指定されました。

大崎八幡宮は、坂上田村麻呂が八幡宮の総本社である宇佐神宮を現在の岩手県奥州市に勧請し、 「鎮守府八幡宮」と称したことに始まります。

室町時代に奥州管領だった「大崎氏」が 、現在の宮城県大崎市に遷したため、【大崎八幡宮】と呼ばれるようになったそうです。

 

江戸時代になり、「大崎氏」が改易され、 初代仙台藩主 伊達政宗公が仙台城から見て北西の方角にある現在地(青葉区八幡町)に 大崎八幡宮を造営し、従来伊達氏が祀ってきた成島八幡宮と合祀して遷座、 仙台城下の乾(=「戌亥」、すなわち北西の方角)天門の鎮めとなったといわれます。

 

ちなみに、十二支は方角を表しますが、「戌亥」は「北西」。

大崎八幡宮が戌と亥の守り本尊であることが ここからもお分かりになるかと思います。

 

あれ???そういえば・・・。

申酉の守り本尊である大日如来は? 午の守り本尊である二十三夜堂は?

申酉は方角で言うと西南西 午は南 大崎八幡宮は仙台城からみて北西(戌亥)に位置してますが 大日如来と二十三夜堂は違うような・・・。

その理由はまたの機会に。

 

大崎八幡宮は、どんと祭が有名ですが、祭事の時だけではなく、 ふと気軽に足を運んで、境内を散策するのも良いかもしれません。

 

ちなみに、社殿の修復工事も終わり、 見事な装飾を見ることが出来ます。

仙台の鎮守、大崎八幡宮 是非行ってみてください。

http://www.oosaki-hachiman.or.jp/

 

それではこの辺で。

 

後藤

皆さんこんにちは。

 

さて、仙台の社寺散策第3弾は、青葉区東照宮にある、仙台東照宮 です。

東照宮といえば、徳川家康公を祀る日光東照宮が有名ですが、 仙台藩二代目藩主伊達忠宗公の願い出により、勧請されて造営されたものです。

 

東照宮がある社地は、もともと天神社(現在の榴岡天満宮)が遷座していたと伝えられ、 1590年に起きた葛西大崎一揆の際、徳川家康と伊達政宗が共に布陣した場所であったため、 天神社が榴ヶ岡に移った後に造営されたそうです。

 

元々天満宮がこの地にあったとは知りませんでした!

 

 

仙台東照宮には、国の重要文化財がたくさんあります。

 

冒頭に挙げました伊達忠宗公が奉献した石鳥居

鳥居をくぐった先に見える重厚な随身門

そして本殿


唐門

 

本殿を囲む透塀は、

創建当時のままで、 重要文化財に指定されています。

また、手水舎は宮城県の有形文化財、一方で石段は、仙台市の登録有形文化財に指定されています。

拝殿と神餞所(神様の食事を作る場所)は昭和10年に火災で消失し、昭和39年に復元・再建されています。

 

当時のまま現存していたら、これらも重要文化財に指定されていたかもしれませんね。

 

仙台東照宮は徳川家康公の分身を祀る神社なので、例祭は家康公の命日である4月17日に行われます。

 

 

また、月に一度、毎月第4日曜日に、境内の参道では骨董市が開催されるそうです。

仙台骨董青空市​ 

http://www.kottouichi.jp/sendai.htm

骨董に興味があるので、一度は行ってみたいですね!

 

 

最後に、東照宮についての詳細は、

以下の仙台東照宮のHPをご覧ください。

http://sendai-toshogu.or.jp/

 

それではこの辺で。

 

後藤

皆さんこんにちは。

 

いよいよ12月に入りました。 今年も残すところあと1か月です。

月日が流れるのは早いですね。

今年の12月は暖冬と言われていますが、朝晩は寒さが厳しいので体調にはお気を付けください。

 

さて、今回は社寺散策の第2弾 資福寺をご紹介します。

資福寺は仙台市青葉区にある臨済宗の寺院で、北山五山の一つです。

 

資福寺は、もともと山形県高畠町に建立され、学問の中心として有名な寺院で あったといわれています。

また、仙台藩初代藩主、伊達政宗が幼少の頃、この資福寺の住職である虎哉宗乙の 教育を受けていたことでも知られており、片倉小十郎も、ともに学問を学んでいたそうです。

 

資福寺はその後、伊達家の移封に従い、岩出山・仙台谷地小路(現在の東六番丁)となる現在地へと 移ってきました。

 

***

また、資福寺は、”紫陽花寺”とも呼ばれ、県外からも多くの観光客が訪れる有名なお寺です。

 

資福寺の境内には500株以上の紫陽花が植えられており、6月〜7月中旬ごろに 見頃を迎えるそうです。

 

この時期には、境内にある小書院でお抹茶の席が用意され、 竹林を見ながらお抹茶と和菓子で心を穏やかにする至福の時を過ごすことが 出来るそうです。

 

***

 

写真撮影に訪れたのは11月。 この時期は境内の紅葉が見事でした。

撮影中に小雨模様となってしまい、写真が少ないのが残念で仕方ありません。

 

前回紹介した輪王寺同様、春夏秋冬どの季節でも素敵な魅力を感じることの できるお寺だと思います。

 

皆さんも一度訪れてみてはいかがでしょうか?

 

それではこの辺で。

 

後藤

皆さんこんにちは。

 

さて、前回の記事では仙台七福神の一つ「寿老人」を紹介しましたが、 今回は第2弾として、「大黒天」を紹介したいと思います。

 

今回紹介するのは、「大黒天」を祀っている喜伝山秀林寺です。

場所は輪王寺の向かい側あたりに位置します。

秀林寺は元々松森(現在の泉区松森)にあった古寺で、1641年に現在地(青葉区北山) に移築されたそうです。

 

ここの大黒天は、秀林寺が開山した当初からあり、最初はお寺の台所(庫院と言うそうです。)に祀られていていて、 350年もの間、火災に遭うこともなく守られてきたそうです。

 

その後、昭和58年に「奥州仙台七福神霊場会」が結成されたのを機に本堂に移され、 三面六臂(さんめんろっぴ)出世大黒天の胎内に胎内仏として納められているそうです。

 

写真を見るとわかると思いますが、撮影した大黒天は顔が3つあります。

 

三面と言うそうですが、向かって右が弁財天、中央が大黒天、左が毘沙門天なのだそうです。

 

そして、六臂(ろっぴ)とは六本の御手の事を言い、弁天は鍵と如意棒、大黒天は剣と袋、毘沙門天は鎌と鉾を持ち、 各天それぞれの願心を表しているそうです。

 

この像の中に、本来の大黒天が納められているわけですね。

 

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さて、大黒天とはどういう神様なのか・・・ 七福神ということは私も知っていたのですが、どのように日本に伝来したのか調べてみました。 大黒天はインドの神様です。

日本には密教の伝来とともに伝わり、初期の頃は真言宗や天台宗で信仰されていたそうです。

インドでも、厨房・食堂の神とされているそうで、日本では最澄が毘沙門天・弁天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりなのだそうです。

秀林寺は曹洞宗のお寺ですが、祀っている大黒天像はこの三面一体の大黒天像です。

この像の胎内にある大黒天は元々台所に祀られていたそうですから、密教の伝来とともに伝わり、 最澄が台所の守護神として祀ったというのはおおいにありうる話ではないでしょうか。 ただ、天台宗と曹洞宗の繋がりはわかりませんが。。。。

 

また、日本の神道の中に大国主という神様が居るのですが、大国主と神仏習合した日本独自の神を「大黒天」とさすのが、 現在では一般的なのだそうです。(詳しくはWikipediaを参照のこと)

 

秀林寺の本堂に入り、右手にこの大黒天は鎮座しています。

初めて大黒天を見たのですが、最初の印象は「怖い」でした。

 

写真を見るとわかりますが、大黒天の顔は憤怒相です。

 

一瞬、何か怒られているような印象を受け、怖いと感じました。

 

由来を見ると、インドでは戦闘の司る神として祀られているそうで、なるほど、だから憤怒相なんだと理解することが出来ました。

 

 

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また、この本堂は、仙台市内最古の木造本堂と考えられています。

秀林寺の正門は仁王像が鎮座し、三千大仙門という大きな門があります。

 

三門からなり、それぞれ「知恵門」「慈悲門」「方便門」と言い、各門に千躰仏(一千体の仏像)を祀っているため、三千大仙門と称されるとのこと。

ちなみに、青葉城のあたりにも千躰仏が祀られていたそうで、 伊達政宗公が築城する際に千躰仏を他に移し、 城を築城し、当初は「千躰城」と呼んだと、伝えられています。

 

その後「千代城」、さらに後に「仙台城」へ、と現在の呼称へと三転した、という言い伝えが残っているそうです。

 

 

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今回紹介した秀林寺は仙台七福神の一つ、大黒天を祀っています。

 

前回紹介した玄光庵は寿老人

 

あれ?七福神の残り5人はどこに?と疑問に思った方いらっしゃいますか?

 

そう思った方は、仙台七福神ホームページを是非見てください。

http://www.sendai-shichifukujin.com/

 

仙台市内にある七福神を祀った社寺一覧を見ることができます。

 

それではこの辺で。

 

後藤

皆さんこんにちは。

 

弊社が仙台市から受託しているごみ収集業務のうち、紙類回収の地域である 「八幡・通町学区」に、この七福神を祀っている寺院があります。

今回は、「寿老人」を祀っている玄光庵 を紹介したいと思います。

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皆さんおなじみの七福神。 

七福神とは、大黒天・毘沙門天・恵比寿天・寿老人・福禄寿・弁財天・布袋尊の 七つの神様の総称です。

 

ところで、七福神は日本古来の神様ではないってご存知ですか?

正確には、「恵比寿天」だけが日本古来の神様なんです。

「大黒天」・「毘沙門天」・「弁財天」は、インドの神様で、 「福禄寿」・「寿老人」・「布袋尊」は、中国の神様です。

 

七福神の由来は「七難即滅・七福即生」の説に基づいており、 七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。

いろいろ調べると、七福神の信仰は室町時代末期に生じ、 当時の庶民性に合致して民間信仰のなかで育まれて、 特に農民や漁民の信仰として現代に今も生き続いている信仰なのです。

 

じつは、このようなこの七福神を祀った寺社が仙台市内にふたつ、あるのですが、そのうちのひとつが、今回ご紹介します玄光庵なのです。

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玄光庵は、青葉区通町にあり、大永3年(1523)仙台市新寺・竜泉院の末寺として復興され、慶長5年(1600)伊達政宗公の仙台城造営に当たり青葉山から現在地に移転され、曹洞宗寺院として独立に至りました。

 

開山堂には、本尊の木彫十一面観音を中心に、三十三体の観音さまが安置されています。

 

玄光庵は、木町通沿いに入口があり、参道には仁王像が鎮座しています。

 

さて、祀られています寿老人は中国の伝説上の人物で、道教の神様です。

南極老人星の化身と言われています。

頭が長く、短身の老人で、杖とうちわを持ち、鹿を連れており、 長寿を授ける神として崇敬されています。

 

ここでは、白壁の本堂の中に安置されており、住職にお話しするといつでもお参りすることができます。

私も初めてお参りしましたが、木彫りの寿老人はとても聡明な印象を受けました。

優しい顔つきなのかとイメージしていましたが、私が見たときには表情が厳しいような印象を受けました。

見る人によって印象は異なるのかも知れませんね。

 

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玄光庵を含む仙台市内の七つの寺社は、昭和58年に霊場会を組織し、七福神めぐりを 発足しました。

 

また、昭和62年に河北新報社が公募により選定した「みやぎ新観光名所100選」に指定され、奥州仙台七福神巡りとして、スタンプラリーも行っています。

 

詳しくは仙台七福神ホームページをご参照ください。

http://www.sendai-shichifukujin.com/

 

次回は、大黒天を祀る秀林寺をご紹介したいと思います。

 

それではこの辺で。

 

後藤

皆さんこんにちは。

すっかり寒くなりましたね。

 

先日、蔵王で初冠雪を観測したとのこと。 

それから、インフルエンザの流行も耳にするようになりました。

仙台も冬の季節ですね。 体調には十分気を付けてください。

 

さて、久しぶりに仙台の名所をご紹介したいと思います。

 

弊社が行っている紙類回収の地域は、史跡や社寺など、 歴史的建造物が比較的多い地域となっています。

 

その中で、今回ご紹介するのは、輪王寺 です。

 

 

 

輪王寺は庭園が有名で、四季折々の花が咲き誇り、目や心に安らぎを与えてくれる 日本庭園があります。

 

 

 

また、園内には鐘楼・平和観音像・茶室・座禅堂・三重塔・五重の石塔などがあり、 仙台市内外から多くの方々が拝観に来ます。

 

 

輪王寺を撮影に訪れたのは11月9日。

 

庭園内のもみじが見事に色づきとても綺麗でした。

 

 

 

 

 

 

話は変わりますが、ここで少し輪王寺の歴史についてお話ししたいと思います。

 

輪王寺は、現在の福島県伊達市梁川に、1441年に開山しました。

 

その後、伊達家の居城が遷る度に転々とし、1602年に今の場所に落ち着いたそうです。

 

仙台の地に落ち着いた後、伊達家の庇護のもと、奥州における曹洞宗の一大叢林として三百余年間「海東禅窟」の名を欲しいままにしたそうです。

 

明治維新後、伊達家からの外護を失い、さらに明治9年に野火に類焼して仁王門以外の建物のほとんどが焼失し、復興の策なく山内は荒廃していったそうです。

 

曹洞宗の大本山である永平寺と総持寺が輪王寺の荒廃している姿を惜しみ、 明治36年に和尚を特選して復興を図らしめ、大正4年に現在の本堂などが完成したようです。

 

その後も庭園の整備や伽藍の復興を行い、現在に至るそうです。

 


 

 

春には桜、初夏に紫陽花、夏には菖蒲、秋に紅葉と、季節を感じることのできる 素敵な庭園のある寺院です。

 

皆さんも一度訪れてみてはいかがでしょうか?

 

なお、庭園に入る際は入園料として300円かかりますのでご了承ください。

輪王寺 HPhttp://www.rinno-ji.or.jp/

 

それでは、この辺で。

 

後藤

皆さんこんにちは。

2016年が始まって、もう半年が過ぎようとしています。

このblogが始まって2ヶ月目に入りました。

blogを始めてから改めて仙台の魅力を知ることができ、私自身嬉しく思っています。

これからも情報を発信していきますのでよろしくお願いします。


さて、今回紹介するのは、青葉区八幡3丁目にある「中島丁公園」「八幡社の館」です。

 
八幡町は、弊社が委託されている収集業務のうち、「紙類収集」の地域になります。

学区でいうと、「八幡学区」になります。

中島丁公園について、ネットで調べてみると、
「かつて国道48号線沿いに建っていた「天賞酒造」の庭園で、 「天賞苑」と呼ばれ、天賞酒造を営む天江家が武家屋敷の屋敷林を生かしながら、 京都風に設えた茶室のある庭園であり、平成4年に「かつての杜の都の原風景を現在に伝える数少ない遺産」ということで、仙台市の都市景観賞を受賞した。
とあります。
 

また、同社(天賞酒造)の移転に伴い、平成19年に仙台市が買い取り、公園として整備しました。

       
園内にある建物は「八幡社の館」と言い、天賞酒造の事務所を移築したもので、平成20年にオープンし、イベントや展示会などにも利用され、地域の方々の交流、憩いの場になっています。




皆さんもお時間ありましたら、ぜひ立ち寄ってみてください。

(なお、周辺には駐車場はありませんので、ご注意ください。)


これからも弊社が収集している地域の様々な場所などを情報として発信していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

それでは、この辺で。

後藤
 
皆さんこんにちは。

このblogが始まって、1ヶ月が過ぎました。

まだ始まったばかりですが、これからも色々な情報を発信していきますので、 よろしくお願いします。


さて、今回は、伊達政宗公の愛馬が眠る神社 を紹介したいと思います。

伊達政宗公の愛馬についてWEBで検索すると、 以下のような記事が見つかりました。

政宗公が乗っている馬は、家臣の後藤信康からの献上馬で「五島号」という。五島の家来に新蔵という馬の育て方がうまい者がいて、その中でも良く出来た馬を献上したらしい。昔から奥州は馬の産地として有名であり奥州馬として武将に人気があった。その昔、源頼朝にも献上されたという話がある。政宗公は若い頃、戦に出かけるときはいつも五島号に乗っていたが、大坂の陣のときはさすがの五島も老齢で、「此の度の戦は長旅になる、そちも老齢の故、今回は留守を申しつける」と言い残して政宗公は大阪に出発していった。残された五島号は、自分はもう昔のように政宗公のお役に立つことは出来ないのかと悲観し、馬屋を飛び出して崖から飛び降りて死んでしまったという。(出陣できなかった後藤信康が、抗議のために乗って飛び降りたという説もある)大阪から帰ってきてこれを知った政宗公は五島号を哀れに思い、飛び降りた場所が「蛎崎」という所だったため、そこへ蠣崎(かきざき)神社を造って祀り、追廻(馬の訓練場だった)の馬の守り神とした。明治に入って軍が一帯を管理し始めると、明治18年(4年の説もある)に片平丁に移転させられ、元の場所には小さな祠が残された。

蠣崎(かきざき)稲荷神社 のある「蠣崎」いう場所は、青葉区川内の追廻地区になります。

場所でいうと、青葉区青葉山公園庭球場近くにあります。
 


駐車場脇の斜面には左右に「狐」が鎮座し、赤い鳥居があります。


鳥居をくぐり、道なりに歩くとさらに鳥居があり、その奥に小さな祠があります。


 

祠の隣には、石碑があり、愛馬「五島黒」を祀っていることが刻まれています。



祠の奥は崖になっており、飛び降りたと言われる高さを目の当たりにすることができます。
 
 

鳥居から祠までは小路として整備されています。

 

この時期は小路の周囲に綺麗な草花も咲いていますので、 機会がありましたら是非参拝してみてはいかがでしょうか。

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さて、この「五島黒」を祀った神社は、明治に移転させられてしまいました。

記事にもある通り、明治の初めごろ、青葉城下の追廻一帯を軍が管理し始めたため、 元の場所に祠を残し、神社は片平丁に移されたのです。

移転された神社の名称は「馬上蛎崎神社」(うばがみ かきざきじんじゃ)と言います。
  
片平の、良覚院丁公園 の隣に鎮座しています。

鳥居をくぐって右側に、神社の由来が書かれています。


みると、ここにはジフテリア除けの信仰があるようです。また、この馬上蛎崎神社には、胡桃を奉納する行事があるようです。

そして、隣の公園の名にある良覚院 とは、もとは修験者のお寺があった場所でした。
その証拠として、この神社の鳥居の左側には、 修験道の開祖と言われる、役小角の石像と使役したと言い伝えられる鬼神の石像があるのです。

伊達政宗の愛馬を祀る神社と、修験道の寺院跡、なんとも不思議な組み合わせですね。

また一つ、仙台の歴史を知ることが出来ました。

機会がありましたら、皆さんもこの二つの神社を巡ってみてはいかがでしょうか。

それでは、この辺で。


後藤
皆さんこんにちは。

5月に入って仙台も20℃を超える日が続き、木々の緑がより一層深まってきましたね。

庭先や道沿いの草花も、見事に咲き始め、杜の都「仙台」を彩っています。


さて、今回はその仙台を彩る花の一つ、「藤の花」を紹介したいと思います。

ニュース等でも知られていますが、子平町にある仙台市指定天然記念物「子平町の藤」です。





5月6日付、河北新報オンライン版でも記事が読めます。 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201605/20160506_13051.html

子平町は、弊社が委託されている仙台市ゴミ収集業務のうち、「紙類」の収集地域になります。
学区で言うと、「国見学区」になります。


この、「子平町の藤」について、仙台市のホームページには下記のような解説があります。

子平町の藤は,仙台藩初代藩主伊達政宗が,朝鮮出兵に際して文禄2年(1593年)に朝鮮半島から持ち帰ったものを,所有者である千田家の先祖が拝領したと伝えられる。江戸後期の文献からも, 当時の町名である「半子町(はんこまち)の藤」として知られていたことが伺える。半子町は,仙台開府時に旗本足軽が配された地域の町名であり,藩に謹仕した代々の千田家も,以来当地に居住していると伝える。判子町は昭和42年(1967年)の住居表示制の実施により,子平町と町名変更された。「仙台年中行事大意」(嘉永2年・1849年)には,当時で230年余の古株である旨の記載があり指定時現在において樹齢約420年の古木と推定される。景観上の美的価値や長い花房,樹齢,株の大きさといった植物学的な希少性に加え,その由緒から歴史的価値も高く,「子平町の藤」として, 300平米の藤棚全体仙台市指定保存樹木(昭和50年6月5目指定)に指定されているが,このうち,政宗からの拝領と伝えられる1株と,それを中心とした藤棚の範囲を文化財指定するものである。 http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/database/c03024.html

毎年5月のこの時期、一週間ほど 一般公開されます。
(今年は5月6日〜5月12日まで。 公開時間は10時〜17時までとなっていました。) 
ご自宅前の脇道を臨時駐車場として開放していますが、4〜5台分しかありませんので、 車で行く際は注意が必要です。

写真は、5月7日 に撮影したものです。



門をくぐると、あたり一面に藤の花の匂いが満ち溢れ、見事な藤棚が目の前に現れます。

300平米の庭いっぱいに広がった藤棚は、一株から伸びています。

 

ここまで育つのにはどれくらいの年月が経過しているのだろうという思いを馳せながら、藤棚を見学してきました。

見学中、雨が降ってきたのですが、雨の中で見る藤の花もまた神秘的で独特の表情を魅せてくれました。

 
 
仙台には、歴史的価値のある文化財がたくさんあるということを、改めて知りました。

これからもこのような情報を発信していきますので、皆さんご期待ください。

それではこの辺で。

後藤
皆さんこんにちは!

今回ご紹介するのは、北目町にある「二十三夜堂」



 

ここは、仙台市内唯一の、午(うま)の守り本尊 です。


こちらも、WEBで調べると、このような記事がみつかりました。

「別当は天台宗北目山賢聖院(けんしょういん)。延久元年(1069)北目(現在の仙台市太白区郡山)に創建され,その後荒廃したが, 康暦2年(1380)北目館主藤原宗房の祈願により中興再建された。慶長年中(1600?1615頃)伊達政宗が当地に移建。午年生まれの守本尊「勢至菩薩」を祀る。 この二十三夜堂という名称は,月の化現である勢至菩薩の月縁日が23日であり,この夜に人々が集まって飲食をしながら月の出を待つ講(二十三夜講)を行ったことに起因する。」


ちなみに「二十三夜」とは、下弦の月。

深夜12時,真夜中の月の出です。

現在は周辺に高層マンション等が立ち並んでいますが、当時ここで見えた月はさぞかし神秘的だっただろうなと撮影しながら想像していました。


と、その時です!!!

 !!!

まさに神の思し召し?とでも言いましょうか・・・

以前、このblogで紹介したポニーちゃんが二十三夜堂の脇道をを闊歩しているではありませんか!

飼い主の方も、以前撮影させていただいたことを覚えていてくださいまして、今回も撮影しました。



飼い主の方にお聞きしたのですが、二十三夜堂の例祭は毎年7月22日・23日だそうで、 去年・一昨年と、このポニーちゃんが例祭に参加して、界隈をねり歩いたそうです。

今年はまだ声が掛かっていないそうですが、もしかすると見ることが出来るかもしれませんよ!


前回の柳町の大日堂と、今回紹介した北目町の二十三夜堂は、距離にして比較的近い場所にあります。

新緑に囲まれた歩道を歩きながら、この2つのお堂を巡るのも素敵かと思います。

私自身はまた一つ、仙台の歴史に触れることが出来て嬉しかったです。

それではこの辺で。

後藤