皆さんこんにちは。

このblogが始まって、1ヶ月が過ぎました。

まだ始まったばかりですが、これからも色々な情報を発信していきますので、 よろしくお願いします。


さて、今回は、伊達政宗公の愛馬が眠る神社 を紹介したいと思います。

伊達政宗公の愛馬についてWEBで検索すると、 以下のような記事が見つかりました。

政宗公が乗っている馬は、家臣の後藤信康からの献上馬で「五島号」という。五島の家来に新蔵という馬の育て方がうまい者がいて、その中でも良く出来た馬を献上したらしい。昔から奥州は馬の産地として有名であり奥州馬として武将に人気があった。その昔、源頼朝にも献上されたという話がある。政宗公は若い頃、戦に出かけるときはいつも五島号に乗っていたが、大坂の陣のときはさすがの五島も老齢で、「此の度の戦は長旅になる、そちも老齢の故、今回は留守を申しつける」と言い残して政宗公は大阪に出発していった。残された五島号は、自分はもう昔のように政宗公のお役に立つことは出来ないのかと悲観し、馬屋を飛び出して崖から飛び降りて死んでしまったという。(出陣できなかった後藤信康が、抗議のために乗って飛び降りたという説もある)大阪から帰ってきてこれを知った政宗公は五島号を哀れに思い、飛び降りた場所が「蛎崎」という所だったため、そこへ蠣崎(かきざき)神社を造って祀り、追廻(馬の訓練場だった)の馬の守り神とした。明治に入って軍が一帯を管理し始めると、明治18年(4年の説もある)に片平丁に移転させられ、元の場所には小さな祠が残された。

蠣崎(かきざき)稲荷神社 のある「蠣崎」いう場所は、青葉区川内の追廻地区になります。

場所でいうと、青葉区青葉山公園庭球場近くにあります。
 


駐車場脇の斜面には左右に「狐」が鎮座し、赤い鳥居があります。


鳥居をくぐり、道なりに歩くとさらに鳥居があり、その奥に小さな祠があります。


 

祠の隣には、石碑があり、愛馬「五島黒」を祀っていることが刻まれています。



祠の奥は崖になっており、飛び降りたと言われる高さを目の当たりにすることができます。
 
 

鳥居から祠までは小路として整備されています。

 

この時期は小路の周囲に綺麗な草花も咲いていますので、 機会がありましたら是非参拝してみてはいかがでしょうか。

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さて、この「五島黒」を祀った神社は、明治に移転させられてしまいました。

記事にもある通り、明治の初めごろ、青葉城下の追廻一帯を軍が管理し始めたため、 元の場所に祠を残し、神社は片平丁に移されたのです。

移転された神社の名称は「馬上蛎崎神社」(うばがみ かきざきじんじゃ)と言います。
  
片平の、良覚院丁公園 の隣に鎮座しています。

鳥居をくぐって右側に、神社の由来が書かれています。


みると、ここにはジフテリア除けの信仰があるようです。また、この馬上蛎崎神社には、胡桃を奉納する行事があるようです。

そして、隣の公園の名にある良覚院 とは、もとは修験者のお寺があった場所でした。
その証拠として、この神社の鳥居の左側には、 修験道の開祖と言われる、役小角の石像と使役したと言い伝えられる鬼神の石像があるのです。

伊達政宗の愛馬を祀る神社と、修験道の寺院跡、なんとも不思議な組み合わせですね。

また一つ、仙台の歴史を知ることが出来ました。

機会がありましたら、皆さんもこの二つの神社を巡ってみてはいかがでしょうか。

それでは、この辺で。


後藤