皆さんこんにちは。

日中は夏のような暑さになる日が続くようになりました。

熱中症のニュースもちらほら聞こえてくるようにもなりましたので、 体調崩さないように気を付けていきましょう!

 

さて、今回の話題は「若林区の歴史探索」です。

 

これまでは弊社が仙台市から受託している家庭ごみなどの収集地域の史跡などを、主に青葉区を中心としてご紹介してきましたが、このblogも2年目に突入しましたので、弊社のある「若林区」にもスポットをあてていきたいと思います。

 

その第1弾として、若林区霞目にある 浪分神社 をご紹介します。

浪分神社は、弊社から車で5分ほどの場所にある小さな神社です。

 建立当時は現在の場所から500mほど南東の今より海に近い場所にあったそうです。

 

この神社は、稲荷神社として建立されたそうですが、 慶長16年に発生した地震による大津波の際、神社近くまで来た津波が社前で 二つに分かれて引いていったという伝承があり、それ以来、波(浪)が分かれた神社、すなわち「浪分神社」と呼ばれるようになったそうです。

この伝承のもとになっている津波は、先ほども書きましたが慶長16年と言われていますが、 文献や伝承などにあたった最新の調査では、なんと平安時代、あるいは弥生時代の津波まで遡る可能性もあるそうです! 

 

ちなみに慶長16年とは西暦で言うと1611年。江戸時代初期になります。

 

2年後の1613年に、支倉常長が伊達政宗の命によりスペインへ出向しています。

いわゆる、慶長遣欧使節ですね。

支倉常長像(仙台市博物館蔵)

 

もしかすると、伊達政宗は津波で被害を受けた仙台藩を復興させるため、 海外の様々な技術を持ち帰ることも目的の一つとして 支倉常長に命じていたのかもしれませんね。

 

この浪分神社の伝承は、東日本大震災後に各メディアを通して全国に広まりました。

 

また、全国各地にも同じような津波に関する伝承や史跡があるようです。

 

この伝承などをも後世に伝えていきたいですね。

 

浪分神社に行く際は、駐車場などがありませんので、公共交通機関をご利用ください。

 

それではこの辺で

 

後藤