皆さんこんにちは。

 

さて、今回の話題ですが、江戸時代(江戸の町)にタイムスリップ?して、 江戸の「ごみのリサイクル」について紹介したいと思います。

(歌川広重《江戸名所》1847-1852年頃,山口県立萩美術館浦上記念館蔵)

 

江戸の町は、ごみの落ちていない綺麗な町だったと 言われています。

当時、日本を訪れた外国人も、江戸の町のあまりの綺麗さに驚いたという 記述が残っているそうです。

 

江戸の町は様々なゴミが回収され、職人の手によって蘇らせるリサイクル社会が 形成されていました。今で言う「3R」が確立されていたんですね。

 

江戸の町は、町中から紙くずや金物くず・生ごみから落ち葉まで、あらゆる「くず」が 「くず寄せ場」と言う場所に拾い集められ、種類別に分別されて、 それぞれの専門業者(職人)がお金を払って引き取り、再生紙や新しい金物・堆肥に なっていたようです。

 

とりわけ、「紙」は貴重なもので、集められた紙くずで作られた再生紙は 「浅草紙(あさくさがみ)」という江戸の名産品だったそうです。

紙を漉き返し、再生紙を作る「紙漉町」が、浅草寺の近くにあったことから、この名前になったとのことです。

 

また、ものを大切に使っていた江戸の人々は、「修理」や「再生」の専門職人が数多く居たようです。

(画像引用:http://edo100.tokyo/

 

古い鍋や釜などの穴を修理を行う職人を「いかけ屋」

割れてしまった陶磁器を修理する職人を「焼き接ぎ屋」

木製の桶や樽の箍(たが)を修理する「箍屋」

包丁などの刃物を研ぐ「研ぎ屋」 

などなど、それぞれの分野のプロが技を冴えわたらせる町が「江戸」だったと言います。

 

これらの技術はすべてではないですが、現代まで引き継がれていますね。

 

伝統文化というのは素晴らしいと、改めて思いました。

 

 

「ごみ処理のシステム」が始まったのも、江戸時代だと言われています。

 

江戸初期、人々は各家庭のゴミを近くの川や堀・空き地に捨てていましたが、 江戸幕府は1655年に、ごみは永代島(現在の江東区永代)に捨てるよう命じました。

 

これに伴って、江戸のごみ処理は(1)収集(2)運搬(3)処分という流れが出来ました。

 

今も続く、ごみを集め、運び、捨てるという流れは江戸時代から始まったも、と言ってもいいのではないでしょうか。

 

この記事を作る際に、色々とネットで調べたのですが、 現代におけるリサイクルを考える際、江戸の人々の生活というのは 数多くのヒントを与えてくれるような気がします。

 

「物を大切にする」「再資源化(リサイクル)」する。

こう言った生活スタイルや心掛けを、 現代社会に生きる私たちも学ぶべきであり、後世に残していくべきものだなと思うのです。 

 

それではこの辺で

 

後藤